ビスマルクの名言は誤解されている⁉

ビスマルクというのは19世紀後半にドイツで活躍した政治家です。
ちょうど、プロイセン王国からドイツ帝国に統一した時期であり、
加えてヨーロッパでの難しい国際事情でもあり、その中で、
極めて、類まれな舵取りを成功させた大政治家です。
歴史家の中には、ビスマルクは第一番の歴史上の政治家として
押す人もいるくらい、その手腕と事績は大きいです。
ですので、彼の言葉の多くは「名言」として残されています。
今回は、日本でビスマルクの名言として広まっているものの
一つを題材にして話をします。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」って本当?

この名言は、ビスマルクが言ったとされるものです。
でも、正確にこれに当たるビスマルクの言葉はなく、
なぜこんなふうに広まったのかと疑問が湧きます。

私がこの言葉の事情に気付いたのは、
あるマーケティングの本を読んでいたときです。
本の著者はビスマルクの言葉として、こんなふうに書いてました。
「愚者は自分の経験に学び、賢者は他人の経験に学ぶ」

私の記憶にあったのは見出しにあるもので、違ってます。
なのでググって確かめました。いいサイトが見つかりました。

ドイツ語では、次のようにといっているとか。ドイツ語さっぱりですから、
全然分かりませんけど。

Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

自分の経験から学べると思っているのは、バカだけだ。

私は、そもそも自分の失敗を避けるために、他の人の経験から学ぶことを好みます。

「賢者」とか「歴史」とか、全然ないですね。もう少し考察してみます。
最初に、「経験」、「経験」といっているのはバカだけだといってます。
これは推測ですかで、ビスマルクは自らの政敵のことをいっているのだと
思います。彼の政敵ですからかなりの大物です。それでもバカなんです。
例えどんな世界だろうと、上層部だろうとバカはつねに生息しているいて、
「経験だ」とわめいているのですね。どこでもいつでも!

なぜ、「歴史」と訳したのだろうか?

「賢者」とか「歴史」とか、ビスマルク自身の言葉には全然ありません。

なぜ、このような言葉を使ったのか気になります。

最初に訳した人は、ビスマルクという偉大な宰相を利用して、
何か魂胆があったんでしょうか?
虎の威をかる何とか、みたいな気持ちになったんでしょうか?

まぁ、そういう気持ちになったとしても不思議はないです。
許しましょう。でも、訳者の手を離れた後のこの言葉は、
一人歩きします。要注意ですよね。

私は歴史好きです。だから気付いたことがあります。
日本では、この歴史という言葉に、かなりバイアスをかけている、と。

日本人の特徴として、歴史についてかなり信奉していることが
あげられます。隣国の朝鮮半島の国とか、中国とかは、歴史について
かなり恣意的で「勝手」が見え見えでも、歴史を利用しようとします。

恐らく、日本でも歴史について何らかの洗脳をしているはずです。
ある認知科学者が指摘するように、洗脳のない国なんてないそうですから。

しかし、「歴史」の本質は、歴史家のトインビーが言ったように、
「歴史家の数だけ歴史がある」ということだと思うんですよね。
なので、「歴史」は絶対普遍じゃない、ということです。

歴史こぼれ話

よくある「歴史」問題の一つに、「邪馬台国」論争があります。
魏志倭人伝に出てくる3世紀前半にあった日本の王国です。
この魏志倭人伝の描写が正確かどうかは知りませんが、
倭国と呼んでいた国は確かにあったのでしょう!

その所在地について、いろいろな説があります。「九州説」とか「畿内説」
とかいろいろです。ダークホース的には「徳島説」も面白いと思ってます。

なにしろ、「古事記」では四国とその周辺については結構詳しく書かれてます。
「古事記」が書かれた時代でも、四国は強く意識されていた?
そんな風にも読めます。

「九州説」と「畿内説」を作り出した発端は江戸時代です。
大学者の新井白石と本居宣長の論争が始まりだといいます。
「邪馬台国」をヤマタイコクと呼んだのは、少々いい加減だと
思います。オランダ語の通事がそう読んだからだというのです。

普通、中国語なら中国語通事に読んでもらうでしょうに。
だから、混乱させることになったんだと思います。

その一つが、「台」をタイと呼んだことです。
「台」の旧字体(あるいは原文)では、卑弥呼の後を継いだ
台与と同じで、こちらはトヨと読むんです。可笑しいです。
言わんとしていること分かりますよね。
高校生以上の頭を持っているなら分かるはずです。

にもかかわらず、この2人の大学者が後世に残したものは大きいです。
なにしろ、歴史好きな人達が、「畿内」だ、「九州」だといい合ってます。
本を出した人も結構いるんですよね。マーケットができちゃってるんです。

こんないい加減ポイ話から、マーケットができた⁉
所在地がどこであるかよりも、マーケットができたという事実が
重要です。この仕組みを解明した方がよっぽど意義があるように
思います、ハイ。

ビスマルクの視点

ビスマルク自身は大学には行ったものの勉強は全然しなかった
みたいです。何しろ、ケンカに明け暮れていたといいます。

つまり、学問的頭脳教育よりも実践的身体教育を選んだのでしょう。
頭で学ぶよりも、身体で習ったんですよ。
余談ですが、「学ぶ」だけではダメ、「習う」だけでもダメ、と
偉い先生は言います。つまり変化し、成長するには「学習」することと。

「学習」という言葉は、前述のように別々の2つの言葉をくっつけたのです。
つまり「学」「習」というように別のことなのです。なのに、
ビスマルクはどうやって成長を手に入れたのか気になるところです。

とはいえ、彼は実践家になる方を選んだんです。

実際、彼は政治家になります。行動しないことには意味のない世界に
入るんです。そんな人が「歴史に学ぶ」なんて、悠長なこと
言いますかね。大体、政治家は学者の言うことを警戒し、嫌います。
(これ私見です)

むしろ「人の振り見て我がふり直せ」の方が彼の信条にあっていると
思うんですけどね。つまり、「学ぶ」なんて悠長なことではなく、
「直す」という行動を選ぶということです。

彼のドイツ語(訳の方ですけど^^)の言葉ともつながると思います。
つまり、彼は勉強して独善的になることなく、ケンカから習得した
相手の一挙手一投足に注意を払ったということですよ。

この方が、正確だと思います。
歴史に対して変に意識することはないです。私は歴史好きですが、
決して歴史を信奉していません。過去の歴史が、未来の姿などと
思うのは良くないです。そんなことないです。

なので、ビスマルクのように他人の振りをよく見ましょう。

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