限定公開:プルースト風失われた時を求めて

自分探しというのは最近は流行っていないでしょ。
まあ、ちょっと旅行に出たからと言って簡単には自分自身が分からないよね。
しかもそんな自分探しの話なんか他の人からすれば全然面白くないのも確か!
でも本人には意味がありますから、あえてこの記事でやってみます。
自分自身を分析して、それを出発点あるいは土台にして飛躍を狙うんです。
なのでタイトルに限定公開とつけます。それとプルーストてなんだという人多いと思うけど、この人はフランスの小説家。自分の精神史を小説風にした人で、ちょっと有名な人なんだ。この人と違ってサラっと語るけど、少し真似したところもあるんだよ。

幼年期のイヤな思い出

子供の時は、家は極貧でした。貧乏ということで周りからひどい扱いになるんだよね。私は玉のような男の子だったのに、ひどい目にあわされた経験が多いんだ。社会ってそんなんもんなんだ。いわゆる構造暴力。これじゃトラウマとかなって精神が歪むよ。

言っておくけど、両親がごく普通に子供を愛して可愛がれば、みんないい子に育つというものなんだ。それさえできなかったダメ親でした。

二人とも裕福に育ったんだけど、子供の時の裕福さはその後の人生になんの役にも立たないといういい見本だよね。貧乏に負けた?なんていうのは見当はずれ。社会に対して弱かった。単純に人間力、生活力がなかったんだよ。

とにかく、過去の嫌な思い出を吐き出してみるのも精神分析上いい方法と思うのでこれから試してみる。

父親のどん底転落

父親は公務員を辞め、商売を始めたのはいいが、失敗。借金をしてしまい、貸主は債権を譲渡したことから、ヤクザみたい新たな債権者から攻め立てられ、さらに悲惨になるという悪のスパイラルを急降下してしまいました。なので私の物心ついたころには、他所に出稼ぎです。

父親の実家に行ったときには、ばあさんからは歓迎されずです。むしろ迷惑がられた。まあ、父親は最悪の状況でしたしね。実家は、今治では由緒ある商家の出で、父親の若いころはチヤホヤと育てたんだろうね。そんな子がどん底に落ちたんだから、ばあさんは不機嫌の極みですよ。意味もなく厳しくしたりして。なので、こっちの方も嫌な気分しか残りませんでした。

母親の実家も落ちぶれる

母方は現在の西条市の出で、昔は大地主だったそうです。母親は子供の頃はチヤホヤで贅沢三昧だったとか。じいさんは地方政治家で地域では権力者でした。じいさんの若いころの娘が私の母親ですが、何か不都合があったのか、戸籍上はひいじいさんの娘として届けているんだ。変だよね。

それでもじいさんが生きていた時は何とかやっていたみたいだけど、死んだ後は、ひどい状況だよ。父親の奈落転落と相まって、私には不愉快と嫌な思い出しかない。

一度なんか、母親の実家に行って多くの子供と一緒に遊んでいて、隣に住んでいたじいさんの弟の実得の敷地に入ったら私だけが「入るな」と怒鳴られたことがあった。母屋では母親たちが「そんなに言わなくっても」と言っていたが、実得は態度を改めることをせず、ますます声を張り上げていた。こんな訳も分からず攻撃された経験だから、私の心にこのことが深く刻まれたのは当然だよ。

しかも、じいさんの政治家の引継ぎがうまくいかず、トンビにアブラ揚げさらわれる始末で、この家は没落の坂道コロコロ。何十年も後にこの家を見に行ったが周りはそこそこ改修なんかしていたのにこの家だけボロ。まあ、祟られたんだよ。それは後で話すけど。

家系にはハンセン氏病患者などいないけど、松本清張の小説「砂の器」みたいな幼少期。辛い思いをして、海辺で波の音がザーッ、ザーッ聞こえるのを友達にしていたみたいな…

家の歴史を紐解いてみようじゃないか

家柄はほんの少しマシという程度だよ。歴史上の人物がいるわけじゃないので詳しく書かれた書物があるわけじゃない。でも最近のネット文化の充実で、調べれば出てくるだ。郷土史家とか郷土史マニアが情報発信しているので、昔の人が聞いたら腰を抜かせて立ち上がれなくなるほどの情報量です。分かったことを書いてみるよ。

父方の家系

父方のご先祖は商人。もともとは琵琶湖の彦根市の南の方にある地域の出らしい。その地域は商人が多く出ている。丸紅の創業者とか。

江戸時代に、ご先祖はその地から三重の桑名の方に移ったみたいだ。そこで紺屋と呉服も商っていたみたい。桑名ってのは、久松松平氏の桑名藩があったところ。その中に長島城というのがあり、そこの城主に、先祖が染める紺ばかまなどが気に入られていたとか。

それが、加藤だったか蒲生だったかの松山藩が改易?まあ、それで久松松平家がラッキーにも松山藩と今治藩をも任されることになるんだ。長島城主は新しく今治藩主に出世。ということでご先祖も新藩主について今治に来て、紺屋兼呉服屋を始めたってわけ。一介の商家でもこの程度の歴史は調べられるんだよね。

明治になっても荒波を乗り切り、商いを続けていた。多分、順調だったんだと思う。躓いたのは大戦後。時代の波に乗り切れなかった?父方のじいさんは、長男じゃなく次男で暖簾分けしてもらって今治の一部とか旧東予市(現西条市)の方で商売していたみたい。でも本店と同様、傾いていったけど。

落ち目の家には社会っていうのは容赦ないよ。社会の人というのは、弱者を作って自分たちのうっ憤を晴らすんだ。それが社会だから。それで、父方は没落。おそらく父親は急な没落の過程を自分の目で目の当たりに見たんだろうね。子供の時は裕福、成人し、結婚し、時間の経過とともに自分も家も音を立てて坂道コロコロってのを体験したんだ。

母方の家系

一方、母方の方は、河野氏の流れを汲むんだよ。河野氏って、知る人は知る一族だ。豊臣秀吉に征服されるまでは愛媛の守護職だったんだ。征服された後もポツリぽつりと政治の場に出てきているんだよね。伊藤博文とか、昭和以降では河野一郎、洋平、太郎の3代とかね。

河野氏の出世物語序盤

もともと河野氏は愛媛の一有力豪族にすぎなかった。それが急にのし上がったのは源平合戦で、源義経側について武勲を挙げたことから。

源平合戦の軍事力で言えば、平家は水軍中心、源氏は陸軍中心。平家が海に出たときは源氏は困ったと思うよ。そこに出てきたのが強い水軍を持つ河野氏。壇ノ浦など主要戦場では大活躍ということで、鎌倉の方にも覚えめでたきを得たんだよ。

このときの河野氏の宗家は河野通信。この人も目まぐるしく、大出世をしたかと思うと旧落下する人生を送ったんだ。

ピークは北条時政の娘を嫁に貰って、時政の覚えめでたかった時期。ある時、全国の有力御家人を集めて酒席が設けられ、時政に次ぐ席を与えられたことがあった。当時は時政が最も権勢のあった人だからね。その人の横に座らされれば舞い上がるよ。

でもすぐに急落する。後ろ盾の時政が二代将軍を暗殺したり女婿を将軍にたてようとしたりで、やり過ぎたんだ。それで娘の政子や息子の義時に出家させられ、実権を奪われてしまう。

慌てたのが河野通信側。折悪しくも朝廷の後鳥羽上皇が倒幕の檄を出したとき、通信とその子通政らが朝廷側について、結局、幕府側に敗北してしまう。当然、反逆者だから一族は捉えられ領地は没収となるよ。これを承久の乱と言って河野氏には最悪の事件のひとつだね。

承久の乱でも生き延びた2人の河野氏

河野氏は、どっこい生き残るんだよね。摩訶不思議という歴史家もいるけど。事情はこういうこと。北条時政の娘を河野通信は嫁にしたといったけど、その二人にできた子は通久と言って、この政変には参加せず、処罰を免れていたんだ。そしてその後は時政娘の母親が兄弟の義時や政子を動かしたんだと思う。この通久に殆どの領地が返還されるという異例の措置が取られるんだよ。だから、その後の河野氏は遺伝子的に北条氏の流れも汲むとも言える。

もう一人、どっこい生き延びてた通信の子がいたんだ。信綱と言って、「通」の字がついていないから事情があるのかもしれない。その信綱は源義経追討の平泉で武勲をあげ、東北は仙台の北部にある黒川郷の領地を与えられるんだ。父親の反乱時には動かなかったのでお咎めなし。この信綱がこっそり愛媛に帰り石鎚山に山城をつくって居城としたのが、母方の先祖の始まりってこと。

目まぐるしい母方のご先祖さまたち

母方の先祖の流れは少し面白い。戦国時代の後半に、高知から長宗我部元親のおじさん(たぶん庶子)が流れてきて、その時の10代目か11代目の城主の姉と結婚し、そこを継ぐんだ。そして石鎚山からふもとに降りて、新たにお城を設け周桑平野で領地を広げていくんだよ。

ことは簡単じゃないよ。戦国時代なので入り乱れている。まず、河野宗家から決死の覚悟の壬生川氏が送られてきて邪魔をされ、新居浜や西条で勢力を得ていた細川家の家臣たちとも領地境で衝突するという状況でした。そんな中、長宗我部元親のおじさんの息子が壬生川氏を切り殺す事件が起き、この息子も仇討ちされてしまうんだよね。

そこで、どうしたかというと、河野氏の有力庶家の正岡家から養子をとって継がせるんだ。壬生川氏とその一族は地侍の出だから、正岡家ははるかに格上。これで一件落着と思いきや、豊臣秀吉の四国征伐があり、四国勢は簡単に制圧されてしまいます。当然、河野氏や母方の先祖も敗走だよ。波乱万丈だね。

正岡家からの養子には男の子供がいなかったけど、娘はいたのでそれぞれ婿がいたんだよ。その一人が帰農して豪農になっていくことになるんだよね。それが母方の流れ。帰農してもその地域でのし上がり、庄屋とか大庄屋になるんだよね。江戸時代や明治にも脈々と続くことになる。母親の実家はその庄屋のひとつだったけど、じいさんが井戸塀よろしく政治にのめり込んで財産を大きくへらしてしまうという話。これで前述の母親の実家の凋落までつながったと思うけど。

両先祖の凋落の原因を一刀両断

父方母方共に没落の道をコロコロと転げ落ちた理由って何だろう。子孫としては気になること。なので大胆に分析してみる。

敵がいたとかいうのは当然。いつの時代もどんな所でも敵はいるよ。敵が強いとか弱いとかは当人と比較しての話だから、まずは強くならないと。敵に負けるというのは当人が弱かったというだけの話。

では当人たちはどうすれば強くなれたのか?過去の財産を引き継いでいるのだから他の人たちより優位だったはずが、コロッと負けている。つまり下手な経営をしたに違いないと推測される。やはり当人たちの努力不足、能力不足なのか?

ここである非常に堅実な経営者が話した経営判断の根幹について援用させてもらう。判断を下すときは次の二つのことを検討するそうだ。
■検討事項は決定すると可能性を広げるか?
■検討事項は決定すると勝率を高くするか?
この二つとも満たさないと、決定しないそうだ。これは堅実過ぎるかもしれないけど古い歴史を持つ家ならこれくらいの慎重さがちょうどいいのかもしれない。

テレビドラマだと面白くないよね。例えば。ドクターXは成功の確率が極端に少ない難しい手術を成功させることで人気を博している。ここで言いたいのは、人気取りの方法と現実の堅実な経営の方法は違うということです。混同しちゃ失敗のもとだよ。

家の格がどうだとか、体面がどうだとかを気にしているだけじゃダメなんだ。格とか体面が大事なら、それらを支えるような堅実な判断をしないといけないということだよね。人知れず勉強をし、経験も積み重ねて成果を手中に収めたら、余裕で余った分を人気取りに使えば良いということ。そういう大人の部分がなかったんだよね、きっと。双方の家には。

とはいうもののこのケースでは敵が狡猾で非情だったと思える節がある。その件については次の章の最後あたりに見解を披露したい。

トンビに油揚げさらわれるって、どういうこと?

地方政治家のジバン、カンバン、カバン

じいさんの死後の後継者

母方のじいさんが地方政治家だったといったよね。じいさん、県議会とか壬生川町長を長く勤めていたんだ。国政へとか夢を持っていたというけど、それは単なる夢。

年も年で死んでしまうけど、せっかく築いた政治基盤はすっかり赤の他人に持っていかれる。その間抜けさは大笑い物で歴史にでも残したいくらいだ。

じいさんが死んだときの状況はこうだ。じいさんには長男がいる、弟もいる、そして娘婿たちも。野心の度合いはそれぞれだが、みんな自分が推されるだろうとノー天気な奴らばかり。しかし、それぞれが政治要素のカンバンとカバンに欠けていたのだ。長男はじいさんの運転手とかしていて、じいさんから直に政治を習っていたはずだ。しかし強く出なかったのは、じいさんが財産をかなり減らしてしまったからだろう。

じいさんの弟は野心の塊だが、明治の家督制度のもとでは金がない。なので金のない奴が偉そうに大声で怒鳴っても、周りから嫌われるばかりなんだよ。そんなことも気付かなかったのかね。まったく能無し野郎だぜ。

そこで出たのがW部という赤の他人。こいつは山師で、善良とは正反対のことも平気でする男だ。まったく赤の他人かというと、正確には、じいさんの戸籍上の長女の嫁ぎ先の親戚だけれど、ほとんど赤の他人である。こいつがジバンを引き継いだ。

世にも奇妙で滑稽な選択の理由

なぜこんなことになったのか?

長男とじいさんの弟の確執があったのかもしれない。長男側としては、何としてもじいさんの弟にジバンを渡したくなかった。そこで長男とその嫁が無い知恵絞ってワンポイントリリーフを立てようと想い至ったんだ。Ⅰ期か2期代わりにやってもらい、そして自分たちの子供にバトンタッチしてもらおうと。

でも山師はそんな甘い人間ではない。ハイハイと言いながら、後ろを向けば「バーカッ」とほくそ笑んだということ。よくあることだよ。気をつけないと。実際それから60年以上たったが、山師は自分の息子に議員職を譲っている。子供に譲るという方が普通だよね。リリーフエースを立てようなどと考えるよりよっぽどまとも。

なぜこんなお笑いになったかを考えると、深い深い歴史的怨念を感じる。じいさんの長男の嫁というのは、実は500年以上前にじいさんの先祖が切り殺した壬生川氏の末裔なんだよ。怖ーい。

もともと壬生川氏というのは河野氏の惣領から、死んでも返ってくるなといって松山から追い出されたんだよ。そんなんだから周桑平野の地名の壬生川をとって自らの名前を変えるんだよね。河野の惣領から粗略に扱われるんだから人間関係が上手とは言えないと思うけど、執着や怨念はスゴイ。500年たって見事に敵をとったのかね?!

山師の政治手腕

山師政治家には、特段、表の政治では特筆すべきことは無いようだ。ただ陰謀が好きで、人を罠にかけたがる。もともとは、山師の集まりである山林組合を束ねた男だから陰謀は朝飯前なのかもしれない。

その息子は、おやじのような老獪さは感じられない。むしろ中小企業の経理マンのような雰囲気を出している。でもこいつもおやじ譲りの陰謀はするみたいだ。ある県会議員だった男がこいつの陰謀にひっかかったと愚痴っていたから、油断すると足をすくわれるということ。

またヤクザを使うところは親譲りなのか。まあヤクザも金になることなら何でもやるから、政治家は良いお得意さんなのかもしれない。持ちつもたれつの関係だろうね。もっとも汚れ仕事はじいさんの戸籍上の長女の嫁ぎ先がやっていたきらいがある。汚れ役ながらチャッカリ金をとっていたみたいだ。最近、そいつの家を見に行ったらキレイに改修している。じいさんの家のボロとは大違いだ。

親子ともに政治的功績はないみたいで、息子の方は県会議員ながら石破派に属していた。石破茂を尊敬していたのかねえ。一体何をしたいのかよくわからない男だ。

誰がこんなあほ馬鹿に係わりたいと思うのか?

母方は、闘って負けたというなら、よく頑張ったねと納得もするが、前述のように小賢しい知恵を使ったら、相手の方が上手でまるまる取られたなどというのは話にならない。こんなのが本家じゃあ、周りから馬鹿にされ肩身の狭い思いをするだけ。むしろない方がましなんだよ。実際、影響力は全然ないからいいけど。

山師側からの妨害はある。何しろ山師側としては議員職は絶対死守というところか。なので、母方の実家筋から人の注意を引くカンバンを掲げる者が現れるのを恐れている。田舎なのでちょっと頭がいいとか良いキャリアがあったりするとすごっく目立つ。目立ったキャリアをカンバンに選挙に出られたら山師側はコロッと負けてしまうからね。

だから山師側は必至だよ。せっせと芽をつぶすことに余念がない。悪だくみは、じいさんの戸籍上の長女の嫁ぎ先が実行しているみたいだ。今は長女の息子がやっているみたいだけど、やはり質は落ちる。「昔のようなな影響力は無くなった」と愚痴っていたが、昔はどんな悪いことやっていたのやら。やはり、ぼろは色々出ているみたいだ。こいつの役割もそろそろ終わりか。

それにしても山師の議員生命が親子で60年も続いたのには全くあきれ返る。それだけ選挙民はアホだということ。普通1万人も人が集まれば少しは優秀で覇気のあるやつもいるだろうに。そういうのが出てくれば山師側がいくら邪魔しても、大したことはできない。山師の政治生命はすぐ終わることは予想できる。

全部吐き出せば新たな人生が始まる

この記事の目的は、過去のモヤモヤ記憶を引っ張り出して、はっきりさせたうえで、大したことがないことだと認識させ評価することだ。それで精神的安定を得ることができ、次なる飛躍を目指すことができるようになる。実際やってみて、結構、心が軽くなったような気がするので効果ありだ。

なので、他人の誹謗中傷ではない。だから人物が特定できないようにしている。人物が特定されていないのでわからないという人には、最初から読んで欲しくないことを付け加えておく。

新しいものを吸収しようとするときは、古いものを全部出し切ること。これは、無刀取りの柳生石舟斎の言葉だが、なかなかいい言葉だ。さすがに稀代の剣豪だけに、修練を積む上で重要ポイントを心得ている。見習いたいものである。

ということで、とりあえずここまでにしておく。

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